絶望の雨は、降るのをやめた
友人達が私を励まそうと外へ連れ出してくれたり、笑わそうと話を聞かせてくれたりする。
恵まれている。
失ったものも確かにあるが、またこれから築き上げていけばいいらしい。
私の後悔や、償いは生きていることでどうにかなるらしいと、周りの人間が教えてくれた。
泣きたいのはこちらなのに、先に泣かれては死ねもしない。
いつだって見る目がないと言われるけれど、本当にその通りだと思う。
浮気をしているのだろうという疑念はあったけれど、まさか不倫しているとまでは思っていなかったし、彼の言う『愛しているからタバコをやめた』という発言が嘘だったことも見抜けなかった。
始まりから嘘しかなくて、この2年という時間が何のためにあったのかと自問自答を繰り返すが、結果が見つかることはない。
不倫の期間は1年半以上だ。
なぜ結婚したのだろうと疑問でしかない。
当時で言えば「22歳の嫁がいる42歳の夫が、25歳の彼氏持ちの女性とダブル不倫をしていた」わけだ。
私は誰に会うことも許されず、働くことも許されず、それらに逆らうことはなく、家事をこなし、お酒も飲まず、タバコを吸うこともない。
家には家族がいて、穏やかに日々は流れる。
彼女には彼氏がいて、一人暮らしで、お酒が大好きで、タバコも吸う派遣社員。
Instagramにはブランド物のバッグをもらったとか、地酒を会社の人からもらったとか。そういう投稿が沢山ある。
彼女は自由でいて、2人の男から愛され、貢がれ、働き自立している。
私とは全くの正反対だろう。
何が事実で何が嘘なのか、私には見抜けないし、彼と話せば話すほど、私が悪いと責め立てられる。しばらくすると、愛してるから手放したくないだとか、やり直そうとか、私が必要だとかそういうことを繰り返し言って、愛してるからタバコをやめたとか、愛してるから家を買ったとか言いだす。
愛がなければ何もできないのか?
私は私自身を嫌っている。
人間不信になるような出来事が繰り返し起こって、怖くなって、けれど信じていいと言ってくれた彼にすら裏切られてしまった。
私は彼さえも不幸にしてしまったのだと、自分を責め立ててしまう。一緒に暮らす家族までもが、家から出て行かなければならない事態になったこと。
友人の結婚式に呼ばれていたが、断らなければならなくなったこと。
彼以外の人間は、誰一人として私のことを責めることはなくて、悪くないのだと励ましてくれた。
無視をされたり、機嫌が悪かったり、命令口調だったり、蜘蛛の巣を私に塗りたくったり、水をかけたり、箸を鼻の穴に突っ込んできたり。
それらを私は嫌だと言ったけれど、彼は「ただの冗談」と言った。
私のストレスをそんなたった一言で片付けた。
彼に不倫の理由を尋ねたら、帰ったらお茶がなかったとか、米がなかったとか。片手で数え切れるほど数回の出来事を持ち出されて、納得なんて出来なかった。
『素直に私のことが嫌いだと言えばいいのに!』と泣き叫んで言うと、「今でも愛してるからそれは無理」と言って、挙句の果てに、不倫には理由がないという。
しばらくすれば、開き直って「これは俺の車だから、お前がドライブレコーダーを勝手に見る権利はないぞ。こっちだって弁護士を立てて裁判だってできるんだからな」と脅してくる。
またしばらくすれば、「慰謝料は払うが離婚はしたくない。お前が必要なんだ。お前がいなければ俺はご飯も食べないし、孤独死かもな。」と言う。
その後またもや「お前を愛してるからタバコだってやめたやん、家だって買ったやん。」と言い並べて、愛していると訴え続ける。
翌日のドライブレコーダーには、車の正面でタバコを吸っている映像がバッチリ写っており、あぐらをかきながら競馬新聞を眺めている。
会社がストレスだったと言った彼の表情は、とても楽しそうで、同僚と談笑しながら、タバコを吸って、その場を離れるとカフェオレを買ってきて、またタバコを吸う。
その後パチンコに行き、負けたのかは不明だが、銀行に寄ってから帰宅した。
傷心する様子などカケラもない。
私はと言えば、1週間食べることもできず、放心状態になったり、ただ自分を責め続けて、37kgまで減量した。精神的ストレスがピークに達したのか、不安感で動悸がしたり、涙が止まらなくなったりして、睡眠もままならなかった。
神経痛が悪化して、一日中、今もずっと、首の根元から肩甲骨にかけて痛みが続いている。
私が泣くのは、恨みとかではなくて、自分の無力さや、周りへ迷惑をかけてしまったことに対しての自責の念からだ。
悲しくなったことは数え切れないほどあるけれど、彼を恨んだことなどはない。
そもそも、随分と前から誰に対しても、怒ることができなくなってしまっている。
自尊心が地を割って落ち始めた時から、私は自分を責めても責めたりなくて、他人を責めることなんて出来もしないし、ただ悲観していることしかできない。感情の欠如だ。
私自身が鳥かごの中に囚われていることは、自他共に認めていて、出ようと思えば出られたのに、伸ばされた手を掴めなかったのは自分の弱さだ。
助け舟は本当に沢山あった。感謝してもしたりないほどに。
けれど、家族の生活もかかっていたから、私ではどうしようもなく、決断もできなかったのだ。
依存してしまっていることに気づいていながらも抜け出せずにいたが、今回のことで私が解放されたことは全然悲観的なことではないと思う。
私は落ち込まない方法を周りから提案されて、出かけてみたり、話をしたりしている。
行ってみたい場所や会いたい人を想って、楽しいことを想像することを毎日やめない。
ふいにそれをやめてしまったり、怖い夢をみたりした後は、落ち込んでしまうから、何かすることはないかと探す。
けれど、そういう時は基本的に何も思いつかないので、とりあえずコタツに入ってテレビをつける。
内容は全然頭に入ってはこないけれど、いくらか気分はマシになっている。
生きる希望をくれる友は、職場から我が家まで車で1分ほどの距離だからと、休憩時間になる度にやってきて、「お湯をくれ」と言う。
この前はパンだったけれど。
ねぇ。
私はまだ生きていてもいいだろうか。