パズルピース
大勢が
「それはDVだ」と述べる
私は言う
「物理的ではない」
彼は言う
「証拠はない」
いつからこんな風になってしまったのか
いつから間違っていたのか
そのどれもが、私にはもうわからない
私が話すこと、書き綴ることは私の主観である。
もしかすると、私が精神的に弱くて何もかもが嫌味に聞こえているのかもしれないし、勝手に傷ついているのかも知れない。
彼にとっては、他愛のないことで記憶にも残っていない。
言葉遣いの改善を求めても、改善されることはない。
彼の口癖は
「役に立たない」「クソが」「は?」
「使えない」「何がしたいん?」
毎日のように言われるこの言葉を、私はどう受け止めればいいだろうか。
私は弱かった。
「役に立たない、使えない」と結婚する前からずっと言われていた。でも同時に「俺なら支えてやれる」とも言われた。自尊心はもうボロボロで、何をするにも日に日に無気力になっていった。
何故私は使えないのか、役に立たないのか。
毎日それらを考えながら、何もできない自分にもどかしさを感じて、ただぼんやりと過ごした。
しばらくするといつものように、ゲームに逃げたり、他のことを始めるが次第にそれらは長続きしなくなっていって、私の心を静かに蝕んでいるのがわかった。
何かに没頭するたびに、嫌気がさすのだ。
例えば絵を描くことであれば、何のために描いているのだろうかと描くことが嫌になり、ピアノを弾き始めれば、コード一つの読み間違いでやる気が失せ、ゲームで死ねば、やはり自分は何もできないと憂鬱な気分になるのである。
そしてここから脱却すべく思い立ったのは、役立たずではなくなることだった。
彼が食べるお菓子やジュースを切らさないように買い込み、如何なる要望にも応え、従順に仕えた。
一度話を聞き逃すと、機嫌が悪くなるので音楽を聞くのをやめ、いつも出来るだけ無音であるように努めた。
しかし、買い物に行くタイミングであっても限られているし、私の聴力に問題があるのか、しばしば聞き取れないこともあり、彼の機嫌を悪くしてしまうことはゼロには出来なかった。
以前、晩御飯のメニューを5つほど提案したら、「なんでも」と答えたので味噌ラーメンを作ったことがある。
すると彼は、「熱いのはいらんわ」と言い放った。
冷たい味噌ラーメンがあるだろうか。
いやその前に、「なんでも」と答えたのに文句を言われたことに驚いたのだ。
「冷たい食べ物がいい」などと他の言い方があっただろうと思ってしまった私は、ついそれを口に出してしまった。
案の定、彼は癇癪を起こした。
そして徹底的に私のことを2日間無視し続けた。
彼にとって、私は従順でなければならない。
何でも言うことを聞くいい子でなければならない。
コップに飲み物を注ぎ入れ彼の目の前に置き、室温を正しく設定し、彼の見るテレビを選択し、部屋の電気を消すまで、私は側にいなければならない。
その間も依然として黙ったままである。
ただいま、いただきますのような当たり前の日常会話すらも、彼にとっては煩わしいのだろう。
彼が帰宅してからは、彼の側を離れることは許されず、長時間離れた時には、私を自室へと連れていくのである。
私は外で働くことも禁じられており、外部との交流も制限され、出かけることはできない。
もう一年半、毎日このような生活が続いていて、気が狂いそうになっている。
私の家族は、私のことを愛してくれる。
けれどそれらは異常であると私は思う。
詳しくは語れないが、私は一日中何かに支配され、精神的に解放される日はない。
果たしていつからこうなってしまったのか。
私が望んだことだったのか。
もうわからないが、今は少し苦しいと思う。
しばらくの間、この生活が続くと慣れてきてしまい、おかしいということにすら気付かなくなってきている気がする。
彼は毎日のように私に酷いことを言い、時には無視をするが、生活費は渡されていて、生存していく上での支障は微塵も感じていない。
暴力は一度も与えられたことはない。
嫌がらせはたくさんされるが、私の主観であるからこれは何とも言えない。
イカの塩辛を鼻の穴に突っ込まれたことや、蜘蛛の巣を取った手で私の服を掴んで拭いたり、卵を割った後の手で私の顔面に白身を塗りたくったりされたことはある。
私は「やめて」と言うし、私にとってはとてつもない嫌がらせに感じているが、本人からすれば何でもないことのようだ。
いつもヘラヘラと笑いながら、「好きな子はいじめたくなる」と言い放ち、改善される気配もない。
彼にとっては戯れなのだろうか。
そうなってくると、「私はDVは受けていません。」と答えるしかない。
精神的なダメージを受けたとしても、「彼に悪気はなく、それらの言葉は、私の心を傷つけるが、それは私の心が弱いせいだ」とさらに自分を追い詰めている。
そして時折言う「好きだから〜」という言葉に、安心と恐怖が付き纏う。
好きだから結婚したんだよね?好きだから養ってくれてるんだよね?好きだからちょっといたずらしてるだけだよね?優しい時もある。上手くできたら褒めてくれる。完璧な人間などいないし、悪気はないのだから、私が我慢すればいいだけだよね。
そう言い聞かせている気がする。
少し前はあまりなかったが、最近になって特に、傷付いて気が済むまで泣き喚いた後、謎の高揚感に包まれて、何でも出来るような気分になる。
それは無気力である自分の原動力になっていて、またそれが快感になっている気がする。
生きるということはどういうことなのだろうか。
私は生かされているけれど、楽しい日々はない。
随分と前に、生きる理由も見失ったし、何をして過ごせばいいのかもわからない。
働くということもできないし、やりたいことをすればいいだの言われても、全てただの現実逃避のように思えてきて、何もしたくなくなった。
いつも思う、死ねたらどんなに楽だろうかと。
この世のしがらみも心配も、私は何の責任を負わされることもない。
私は怯えている。
周りの人間は『離婚すればいい。』と簡単に言うが、そう簡単ではないし、『愛情の裏返しだよ。』と言われれば、やっぱりそうなのかと私は納得するだろう。
立ちはだかっている問題は、私の精神的な負担だ。
私は「私が不幸にした人」として彼のことを忘れることはできないだろうし、「彼は私を愛してくれたのに、私は彼を愛せなかった」と絶望するだろう。
彼の負う代償が大きすぎることを私は知っている。
だから、私は捨てられるまで離れることはできないだろうと思うし、その恩に報いなければならないと思う。
私の代償は、私の人生そのものだが、その価値が彼の人生と同等だとは思えない。
きっと私が彼に出来ることは、今と変わらず、従順であり続けることだろう。
私は私自身をこれ以上傷つけたくないと思っているし、他の誰も傷つけたくないとも思っている。
それはきっと不可能なのだろうけれど、現状維持は出来るだろう。
いつも、私が我慢すればそれでいいと思ってしまう。そして耐えて耐えて耐え抜いた時に壊れている関係性だったり、自分のボロボロの姿だったりに気付く。
どうすればいいのだろうか。本当に。
誰かにそれを聞いて、決めてもらわなければ動けない自分にも嫌気がさす。
ただ、今まで通り過ごすしか方法はないのか。
全然違うパズルピースが綺麗にハマった時のように、最初から破綻しているように見える時がある。
そのパズルはもう完成していて、ノリも付けてあって、額縁にも入っていて、もう壊すことも出来ない。
唯一の方法は、燃やすだけ。
でもライターはあるが、オイルがなくて結局火はつかない。
私は時々思う。
『悪気がなければ、何を言っても許されるのか』
『悪気がなければ、何をしても許さるのか』
”悪気がない”という言葉は、魔法の言葉だ。