隣の家のポチとタマ。
もともと少食だから、1日1食、味噌汁一杯で事足りる私の身体は、過度なストレスの積み重ねによって、何を食べても飲んでも吐いてしまうほどに、食事を受け付けなくなってしまった。
身長は低めだから見た目的な問題はないけれど、体重が36キロまで落ちた時は、自分でも少し危ないと思ったくらい。
筋力を付けないとと思っても、体を動かす原動力はないし、布団から出ることすら億劫である。
夢を見た。
『生きていることに理由を見出す必要はない、生きたい理由を見つけるだけでいい』
昔、確かにそう言われた記憶がある。
けれどもう誰に言われたのかは記憶に無くて、モヤの向こう側のあの人は一体誰だったんだろう。
でもそうやって、記憶の中にいる"誰か"が私を救い出してくれる。
確かにその人はいて、以前仲が良かったとか、ゲームをした友人だとかその類だとは思う。
簡単なことからでいいんだって、例えば甘いものが食べたいだとか。
でも生きる気力がない私にはそんなもの何一つ思い当たらなくて、最初は誰かを真似るといいって言われたんだ。
そしたら自分の本当にやりたいことが見つかるかもしれないって。
半年に一度くらいしか話さないような友人に、よく自分のことを覚えているねと言われる。
本当は覚えてなんかいない。
一冊のノートがあって、それに全部書いているだけ。
どういう話をして楽しかったとか、どういうきっかけで知り合ったのかとか、好きな食べ物だったり、よく聞く音楽だったり、そういった積み重ねで私という人間が出来上がった。
やりたいことも好きなことも結局未だに見つけられなくて、誰かが興味を持った何かを私は真似てばかりいる。
ゲームが好きなあの人を見た。
だからゲーム機とソフトを買った。
母からギターを譲り受けた。
だからギターを弾いた。
軽音部にベーシストがいないと言われた。
だからベースを弾いた。
写真を撮ってと頼まれた。
だからカメラを買って写真を撮った。
幻想的な絵を見て涙が出た。
だから絵を描いた。
君の声が好きだと言われた。
だから必死に歌った。
彼女にネイルを勧められた。
だからネイルができるようになった。
手作りのお菓子やご飯を食べたいと言われた。
だから料理をした。
家に電子ピアノがやって来た。
だからピアノを弾いた。
しかしどれも、中途半端に終わった。
ピアノは始めたばかりだからやめてはいないけれど。
私の知らない誰かが、安易に死ねと口走ったとしたら、私はその通りにするんだろうと思うんだ。
誰かの不幸を背負えるほど強くはなくて、私という存在が誰かを傷つけてしまうなら死んで詫びたい。
それよりも先にもちろん謝るけれど、それでも生きていることすら許されないのなら、君の言う通りにしようかな。なんて。
本当にろくでもない死にたがりだ。
それにきっと、殺されない限り死にはしない。
死ぬことで迷惑をかけることを知っているから。
不謹慎だと言われるだろうか。
世の中に生きたくても生きられない人間がたくさんいる中で、死を渇望する人間がいるんだ。
私みたいな。
この世の不幸を全部背負ったみたいな被害者ヅラをして、けど本当の被害者は私に関わった人たちなんだ。
運命とか神様だとか。
本当にいるのなら人生ってなんなんだろう。
私の選択すら必然だというのなら、なぜ私は生きているんだろう。
この先何のために生きていくんだろう。
何のために生まれてきたのかとか、今文章を書き連ねていることすらも決まっていたことなら、それは私でなくてもいいんじゃないだろうか。
魂というものが本当にあるのなら、人間というのはただの器でしかなくて、隣の家のポチでもよかったわけでしょう。
私はなぜ人間であって、なぜ女であるのか。
なぜ戦争のない時代に生まれ、日本という国に生まれ、この場所で生きているのか。
その全てが、私にとっての疑問であり唯一の好奇心の矛先でもある。
思考や仮定は楽しい。妄想とも言える。
死後どうなるのかを知りたくてたまらない。
今この瞬間も時間は流れていて、絶望しながらも23年を生きた。
もうよくない?
生まれ変わりや前世や来世があるなら、次は隣の家のタマになりたい。