現実と向き合うことはきっと今も難しい。

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写真を撮るのが好き。

 

もう縛られることはないし、行こうと思えばどこへでも行ける。

だけど、粉々に砕け散ったメンタルは元には戻らないし、いくらか強引に引っ付けたとしても直ぐに亀裂が入ってしまう。

そんな不安定な状態のまま。

 

私は私が誰なのか、本当の自分はどういう性格なのか、そんなことを考えるほど自分が自分ではないような気がしてわからなくなる。

 

誰かがくれる「好き」という言葉は、嬉しいようで悲しい。

 

ネット上の私を好きなだけで、現実は違うのだと思う。

皆、そんなことはないと言うけれど、私にはそうとしか思えない。

喋るのは苦手だし、人見知りはするし、明るくもない。

本当にネットとは正反対で、彼らの言う「好き」は錯覚だと思う。

自分のことが嫌いなのもあってか、好きだと言われると関わりたくなくなってしまう。

向けられる多くの好意に、ネットとリアルの区別はないのだと認識はしているし、私の考え方がぶっ飛んでいるのは大いに理解している。

 

私はきっと恋愛体質ではないし、そもそも向いていないとすら思う。

疑似恋愛ですら6ヶ月が限界だったし、現実なんて2ヶ月が最高記録だ。

 

自分から告白したことなどはないし、周りの話を聞けば聞くほど恋愛に向いていないと思うようになった。

付き合うという流れに至るまでに前置きをするようになった。

『好きになれるかわからないし、想像しているような女の子ではない。それでもいいなら。』と。

案の定「思っていたのと違った」とよく言われる。

恋愛対象かどうかの判断基準には少なからず外見的要素は含まれているし、その上で話し方や仕草などの動作がオプションとして付いてくる。

服装や髪型に気を遣っているのは自分を磨くためではないし、周りに不快な思いをさせないためだ。

けれどそれは陽キャに見えるようで、私は違うと言ってもそんなのお構いなし。

家に帰れば、真っ先にパソコンを起動するし、ゲームやジグソーパズルみたいな逃避できるものがないと生きていけないと思う。

日差しに弱く、サングラスがないと涙が溢れてきて日中の運転などは厳しい。

圧倒的インドア派だし、出かけるのは夜がいい。

お金を浪費するのは嫌だけど、欲しいものに妥協はしたくない。

普段使わない分を一気に使う傾向にあって、『外食や旅行などしない分だと思えばかなり安いと思うよ』と言うとおかしいと言われる。

どうやらおかしいらしい。

 

 

ところでパソコンが起動しない。

購入の目処も立たない。

墓ねずみのまま。