無限回廊
なんだかんだ言っても人並みの友好関係だとか、人付き合いはしている。
と、思っているだけかも知れないが自分はそのつもり。
ちょっとした、私の話でもしよう。
身体があまり強くない方であるのは周知の事実であるが、今さらそれを
『どうして私だけ・・・』なんて思うことももうなくなった。
ところで最近、仕事を探していると
探すのやめたら?
働いたってどうせすぐ辞めるんだから。
ということを身内にも、その他大勢にも言われる。
やってみなきゃわからないだろう!
と思うのは私だけだろうか。
私自身、働きたいとは思っているのでそこは尊重してほしいものである。
ただし客観的に見たときに、働くには厳しい身体だと理解はできる。
そのため周りが自分のことを思って、心配してくれていることも十分にわかっている。
ただそれらに腹が立ってしまうのは私の至らなさだろう。
本当に不甲斐ない。
以前の会社をどうこう言おうが、
壊されたメンタルも、神経痛も治るわけじゃない。
ただ20年もまだ生きていない人生の中で多く知った。
10代前半にして生きる大変さを重く味わった。
壮絶ないじめもあれば、見て見ぬふりをする教師もいた。
人は自分の身を守るために他人を卑下するし、見せかけだけの同情もよくあった。
身体が弱い私は社会不適合者と呼ばれ、恰好の餌食となった。
10代後半にして働く厳しさを知った。
朝6時始業、休憩0~20分、終業20時(時間外手当0)
時給換算したときに346円で思わず笑ったのを覚えている。
それは自分の身体に見合った仕事であるか。
というのをもう少し早くに気づくべきであった。
そして気づく。
私は私の限界を知った。
だからもう働くことはできないということも。
では、どうして生きるのか?と問う
何のために...。と
生きて何になるのか。
私はこの世に何を残せるのか。
生きるということの意味を疑問として投げかけてくるが
終わりがない。
気づけばそこは
無限回廊なのである。