眠れなかった。

9時頃一階に降りると、母が泣いていた。

 

私はいつものように「おはようございます」と言って、歯を磨きに行った。

終わるなり母が「ちょっと来て。抱きしめさせて。」と泣きながら私を抱きしめて

「しんどかったよね、もう辛いことも終わるから大丈夫だよ。」とさらに強く抱きしめながら頭を撫でる。

私はよくわからなくて「どうしたの?何があったの?」と聞いた。

すると母は「仕方ないなぁ、ちょっとお裾分けしてあげよう」とYouTubeのとある動画を開いた。

それは母のいつも見ている動画で、タロットカード占いだった。

母はその動画を泣きながら見ていて「見てて、ほら世界は変わっていくんだって、しんどいことから解放されるって。」と繰り返して言う。

正直私はタロットカード占いに興味はないし、母の言う世界がどう変わろうが母の勝手で、よく言う信じる者は救われるとかそういう話なんだろうけど、私にはどうでもよくて、昨晩眠れずにいたのを理由に切り上げようとした。

すると驚いたことに、母が急に少し怒り出して「いいから!見て!これだけ!!残り少しだけだから!」

「いやでも眠いし、少しって言ってもこれ後30分あるよ…」

「いいから!!はい!!!見て!」と半ば強制的に動画を視聴することになった。

やはり最後まで見ても、私の心は何一つ動かず、「もう寝に行ってもいいだろうか」と聞くと、母は泣きながら「あんたにはわからんのか」と小声でそう呟いた。

それから自分の部屋に戻って横になったんだけど、気分が落ち着かなかったり、心臓が痛かったりで、眠れなくて、他人に共感できない自分をどこかで責めていて、けどイライラもしていた。

自分のやりたいことや信じていることを押し付けるのは違うと思うから、眠いと言っている相手に対して、「見て!」と強制するのは違うと思う。

「起きてから気が向いたら見て欲しいな」とかそういう配慮をすべきだと思っていて、今日の母は本当に変。

世界旅行をするんだとか言ってみたり、よく話したがって、私のVCに割り込んできたりする。

自分だけでも精一杯なのに、しんどい。

わたしは狂ってる

日常生活をもうずっとまともに送れていなくて、気持ちも身体もしんどいまま。

中学生の頃から左下腹部の痛みが月1回程度起こるようになってから、何度救急に行ったかわからない。

熱が出ていようと、嘔吐していようと、いつも言われるのは、「異常がありません。」「至って健康ですよ。」

血液検査をしても、レントゲンを撮っても、どんなに強打しても骨は折れないし、身体本体は丈夫そのものだ。

なのに喘息は頻発するし、心は一向に良くならない。

薬を飲んでも落ち着かないし、かと思ったら妙にバカみたいなテンションになって、思いつきで夜中に出掛けたり、少し前は訳もわからずずっとイライラしていて、周りに当たり散らしていた。

暴言を吐くこともあってその度に落ち込む。

物欲なんてものはほとんど無くて、必要はないのに高価な物を買ってしまうし、性欲もほとんど無いのに、自分で自分のバーゲンセールを始めてしまう。

落ちぶれている自分というか、自分を粗末に扱うことで私は底辺であるんだと認識して、ある意味そういった自傷行為に酔っている。

好きでもない相手と行為が出来るかという問いにはYESだが、好きでもない相手と行為をしたいかと聞かれればもちろんNOなわけで。

物理的ではない、精神的な自傷行為が一時的にだが気分を良くしてくれる。

事後は、自分のゴミクズさに酔っているのに、しばらくしたら何であんな暴挙に出てしまったのかと己でも理解できないし、後悔していて吐きそうになっている。或いは、全てがどうでも良くなっていて、行為に及んだ事すら何も気にしない時すらある。最近は特に何も感じ無くなっていてこの方法は多分もう意味がない。

例えば特別な人間が出来たとして、ある程度仲良くなった後で、わざと嫌われるように仕向けて別れるなんてことをよくやる。

嫌われるのは怖いし、離れて行ってしまうのも怖い。

けれどそれよりも、"誰にも必要としてもらえない自分"を演じて、傷つくことで心が満たされる。

眠れない夜はそうやって誰かに縋って生きていて、いつか捨てられるのを怯えながらも静かに待っている。

 

2日前に吐いたけれど、熱は出なかった。

あまりに眠れないし、不安になってきて震えと涙が止まらないし、動悸がして胸は苦しいし、落ち着こうと思って付けたテレビは何の気休めにもならなかった。

深夜4時頃になって、はちみつ入りの紅茶を飲んで寝ようと思ったのだが、どうやら紅茶がまずかったのか。

その後1時間に渡り、吐き気と葛藤して、吐いたり寒気がしたりでカイロを貼って、冷や汗をかきながら、「クソッ!」と先程までの眠れないままで暴れていた方がマシだと心底思っていた。

誰も起きていないからただただ一人で苦しんで、そのまま朝を迎える。

父は仕事が休みで、「買い物に行くけど?」と聞いてきて『行くわけがない、無理!』と私は八つ当たりをしてしまう。

その後少し眠気が来たかと思ったら、またも気分が悪くなってしまって24時間以上の覚醒状態に。

気分も落ち着いてきて、眠りにつこうと思えばもう夜になっている。

お風呂に入って、今日も何も出来なかったと悔やみ始めたが最後、あぁ始まった…アイツがくる…。

私を嘲笑って、消えてしまえばいいとか、死にたいだとか叫び出すアイツ。

そしてまたしばらく眠れなくて、いつの間にか寝落ちしていて起きたのは16時間後。

また何もせずに1日が終わってしまった。

こんな日々の繰り返し。

なのに時折なんでも出来る気がして、求人を見始めたり、ハローワークに行ったりする。

実際のところ何も出来ないし、仕事は嫌いじゃないのに、朝起きれないとか、集中力が続かないとか、長時間労働ができないとか、段々と社会が怖くなっている。いやだいぶ前からか。

 

両親には迷惑をかけている、本人たちはそんな事一度も口に出さないけれど、働くこともできないし、医療費に金は取られるのに、社会的補助は何もないから、ただのニートの引きこもり娘。

兄は難病だから、医療費の免除を受けているけれど、私はただただ原因不明の腹痛や、嘔吐を繰り返していて、整腸剤とか胃薬とか、睡眠不足の肌荒れとか、何の診断もないから生きているだけで、お金がかかってしまう。

八つ当たりだったり、不安になったりで、感情のコントロールが出来ないし、突発的に衝動的な行動をするし。

死ねるなら本当に死にたいのに、安楽死出来ないのが辛い。

母は「お母さんも昔はそんなことがあって…」「昔は…お母さんの時は…」なんて言葉ばかりを繰り返して、話を聞いてくれない。

だけどいつだって守ってくれるし、「お金のことは心配しなくていい。」とか「あなたは優しすぎるから、こんなにいい子だから傷つきやすいだけ。」って励ましてくれる。

それが心底辛い。

私は全然いい子じゃない。

私は愛されているし、周りの言う幸せな家庭であると思う。

だけど、自分の無力さや、親孝行できていないこととか、もう全部何もかも考えたくはない。

必要ないとか、死ねばいいのにとか。一度も言われたことなんかない。

愛してるとか、大好きとかいっぱい言われて育ったのに、私自身が卑屈になって、大好きな物も人も全部壊してしまうのが怖くてたまらない。

私のせいでみんな不幸になっていってるんじゃないかって思えてならないし、しんどくてたまらない。

だから、死ぬことで迷惑をかけてしまうことと、生きていて迷惑をかけてしまうことの狭間で揺れている。

迷惑をかけずに死ねるならそうしたいし、だけどきっとそうしたって、喜ぶ人がいないだろうって事もわかってる。

 

もうどうしていいんかわからん。

死にたて死にたて毎日生きてるんが辛い。

やりたい事ない。

死にたい。ほんま生きてるん無理。

どうやって生きて行ったらいいんかもわからん。

もうあかん。ほんまあかん。むり。助けてくれ。

 

窒息してしまいそう

失ったものは数えきれないし、得たものはない。

軟禁されていたこの2年間、幸福だったのか不幸だったのかすら私にはわからない。

けれど生かされていたのは確かで、心は宙に浮いているけれど、今も未だ地を踏んで生きている。

代償は大きかった。

田舎暮らしでは、1人1台は車を所持しているものだから。

車も仕事も家も。

何もかも無くした私には絶望しかなかった。

 

どこで間違ったのか。

間違ってなかったのか。

何もわからないけれど、あの時叩きつけられた主張書面は嘘ばかりで、憤る事もできなかった。

ただ世界が一瞬、呼吸をやめてしまったかのような、そんな静寂に支配された。

冷静であったわけでは決してないだろう。

次の瞬間には、涙と笑いが込み上げて来て私は壊れてしまったから。

何故今まで一緒に過ごせていたのだろうかとか、何故我慢し続けていたのだろうかとか、誰に問うたらいいのかもわからない物事が爆散して、答えなどわかるわけもなく、それは笑いに変わった。

涙は止まることを知らず、笑いは自分の愚かさを呪っているようで、生きる方法を探すより、真っ先に楽な死に方を調べた。

何度も死のうと思った人生だが、同時に生かされた人生でもある。

車がなければ働けない、おおよそ働ける精神状態でもない、家もない。私に行き場などない。

働くことは嫌いじゃないのに、いつからか人が怖くなって、1番得意だった接客業が大嫌いになった。電話に出ることすら怖い。人の声など聞きたくない。外に出られる唯一の機会も、楽しみだった買い物すら恐怖に変わった。

本当は知っている。さほど他人に興味などないし、すれ違う人が私を見ているわけではないことは。けれど人の視線が自分に向いていないとしても怖くてたまらない。息ができなくなる。

 

生きていることすら烏滸がましく、いつからか自分の存在自体を否定し始めた。

好きだとか愛しているとかいう周りの声が理解できなくて『こんな自分…』と卑下する度に苦しくなって人を遠ざける。

優しくなりたいと思うし、苛立ちを抑えきれずに暴言を吐いてしまった時は、その瞬間から後悔していて苦しみに苛まれる。

泣いても吐いた言葉は取り消せなくて、自分の弱さも相手を傷つけてしまう自分自身も嫌いで仕方がない。

次第には話すことが億劫になってしまった。

そんな反面、臆病で弱すぎるせいか、自分と向き合うことなんてせずに誰かに縋って生きていたいと思う時がある。

けれども傷つけられたり傷つけてしまうなら、最初から一人がいいと考え直したり、兎に角思考が定まらない。

根本にある指針は、孤独であることをベースに“穏やかでストレスの限りなく少ない生活”をおくること。

しかし、メンタルが崩れてしまうとやはり寂しいと思うし、悲しくなって自分で立つことはできなくて、世界が私を引きずって生かし続ける。

 

生きることも死ぬことも容易ではないだろう。

どちらを選んでも他人の迷惑になる。

それならせめて、生きる選択をしようか。

そんな私の人生。

 

 

 

とりあえず、酸素をください。

あれやこれや

お腹が空いているのか空いていないのか

眠いのか眠くないのか

 

お腹が空いていると思って食べれば吐いてしまうし、眠いと思って布団に入ってももう5時間以上寝付けない。

 

又、意識も朦朧としている。

 

生きなければと張り詰めていた気が緩んでしまったからなのか。

 

兎に角、どうやって生きればいいのかわからなくなっている。

 

現実と向き合うことはきっと今も難しい。

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写真を撮るのが好き。

 

もう縛られることはないし、行こうと思えばどこへでも行ける。

だけど、粉々に砕け散ったメンタルは元には戻らないし、いくらか強引に引っ付けたとしても直ぐに亀裂が入ってしまう。

そんな不安定な状態のまま。

 

私は私が誰なのか、本当の自分はどういう性格なのか、そんなことを考えるほど自分が自分ではないような気がしてわからなくなる。

 

誰かがくれる「好き」という言葉は、嬉しいようで悲しい。

 

ネット上の私を好きなだけで、現実は違うのだと思う。

皆、そんなことはないと言うけれど、私にはそうとしか思えない。

喋るのは苦手だし、人見知りはするし、明るくもない。

本当にネットとは正反対で、彼らの言う「好き」は錯覚だと思う。

自分のことが嫌いなのもあってか、好きだと言われると関わりたくなくなってしまう。

向けられる多くの好意に、ネットとリアルの区別はないのだと認識はしているし、私の考え方がぶっ飛んでいるのは大いに理解している。

 

私はきっと恋愛体質ではないし、そもそも向いていないとすら思う。

疑似恋愛ですら6ヶ月が限界だったし、現実なんて2ヶ月が最高記録だ。

 

自分から告白したことなどはないし、周りの話を聞けば聞くほど恋愛に向いていないと思うようになった。

付き合うという流れに至るまでに前置きをするようになった。

『好きになれるかわからないし、想像しているような女の子ではない。それでもいいなら。』と。

案の定「思っていたのと違った」とよく言われる。

恋愛対象かどうかの判断基準には少なからず外見的要素は含まれているし、その上で話し方や仕草などの動作がオプションとして付いてくる。

服装や髪型に気を遣っているのは自分を磨くためではないし、周りに不快な思いをさせないためだ。

けれどそれは陽キャに見えるようで、私は違うと言ってもそんなのお構いなし。

家に帰れば、真っ先にパソコンを起動するし、ゲームやジグソーパズルみたいな逃避できるものがないと生きていけないと思う。

日差しに弱く、サングラスがないと涙が溢れてきて日中の運転などは厳しい。

圧倒的インドア派だし、出かけるのは夜がいい。

お金を浪費するのは嫌だけど、欲しいものに妥協はしたくない。

普段使わない分を一気に使う傾向にあって、『外食や旅行などしない分だと思えばかなり安いと思うよ』と言うとおかしいと言われる。

どうやらおかしいらしい。

 

 

ところでパソコンが起動しない。

購入の目処も立たない。

墓ねずみのまま。